2009年12月25日
向井建設株式会社 東京本社建築工務部直轄施工課職長
仕田 義人氏
足場の設置や鉄骨建て方など、建設現場の高所作業を得意とする「鳶(とび)職」。トビのように梁から梁へと飛んだことがその名の由来といわれ、その華麗さから“現場の華”とも称される。
様々な大規模プロジェクトで鉄骨鳶として腕をふるっている向井建設(株)の仕田義人さんに、現場での心構えや鳶職の魅力などについて伺った。
取材・構成/日刊建設工業新聞
数々の超高層、大規模現場を経験。先輩から技を盗み、失敗から学びながら、成長を続けてきた。
東京駅前の新丸の内ビルディングでは、地上200メートルの高所作業を経験。現在はJR品川駅港南口にて、中日新聞社旧東京本社ビルを地上19階建ての超高層オフィスビルに建て替える工事に従事している。
現場では、段取りよく進めるのに夢中になって、高所で作業しているという自覚を殆ど感じる暇がないほどです。近隣の皆さんへの配慮からも、毎日、時間内に決められた作業を終える必要がありますから。
そうはいっても、鳶の作業は常に危険と隣り合わせ。一歩間違えば、自分だけでなく仲間の命も保証がありません。常にフルハーネス型のダブル安全帯を装着し、必ずどちらかのフックを支持物に固定して墜落、転落を防止しています。
また重さが20トンも30トンもある鉄骨をクレーンでつり上げ、高所で組み立てる作業なので、荷降ろしの際の挟まれ事故や資材の転倒といった危険もあります。技術力やスピードも大切ですが、現場ではどんな時も安全を最優先しています。
以前、長女に現場を見せたことがありましたが、『お父さんは、どなりまくっていてうるさかった』と言われました(笑)。
安全を確保するには、どんな細かな注意でも若い部下に声をかけることが重要ですからね。
1987年、大学進学か就職か考えた末「東京で大規模な建築の仕事に携わりたい」という希望を胸に山口から上京。鳶工事の名門の向井建設に入社した。
伯父が建築資材の鉄工所を営んでいて、子どものころから建設業を身近に感じていました。そんな環境もあって、工業高校の建築科に進みました。
高校卒業後は大学進学も視野にあったのですが、家族への負担を考え就職の道を選び、『東京に出て大きな建物を造りたい』と当社に入社しました。
入社して数年間はバブル景気の真っ最中。当社は何棟もの超高層ビルや大規模現場を抱えており、当時の新入社員は横浜アリーナや横浜ランドマークタワーなどで研修を受けました。
でも、鳶の技は口で簡単に伝えられるものではなく、長い経験の中で先輩の仕事ぶりを見たり、失敗を悩み、自ら工夫したりして体得するしかありません。
実際、いっぱしの職長となって現場を仕切れるようになるには、10年から15年の下積みの辛抱が必要。様々な現場を体験して、ようやく1人前になるのだと身をもって感じています。
鳶の仕事は、躯体の鉄骨建て方だけでなく様々な作業がある。その中で常に「危険な仕事を安全に」と考え、施工に反映しながら、やり甲斐につなげているそうだ。
鳶の仕事は、鉄骨の建て方からクレーンの組立解体、内装工事用の足場や通路の組立・解体、竣工間近の仮囲いの撤去まで携わります。
無事故で現場を終え、建物が完成してお客さまから喜んでいただいたときの達成感や充実感は何ものにも代えられず、鳶職であることの誇りを強く意識できます。
仕田さんが目指す鳶職像は「存在感、威圧感のある職人」。いるだけで現場がまとまる職人と認められるよう、技、人間性に一層磨きをかけたいという。
当社には、現在技術指導員をしている國重徳美さんという、ランドマークタワーの職長を務めた人がいます。鳶の技を極めたすごい職人です。
僕が若いころは畏れ多くて声もかけられない存在で、国重さんが、常に安全に早く、搬入計画までも考えて進める仕事ぶりを見ながら、工程計画の作り方や段取りの仕方、技術を習得したものです。
いまは後進の指導をされていて、僕も時々アドバイスをいただいています。彼のような強烈な存在感、威圧感がある職人に僕自身もなりたいと思っています。目標は、僕がいるだけで良い意味での緊張感が走り、現場もまとめられるような職人になることです。
また元請さんと、現場代理人として施工打ち合わせの時に技術的なことなど対等に話し合えるよう、1級建築施工管理技士などの国家資格を頑張って取りました。これからはさらに技、人間性に磨きをかけ、より高いレベルの技術者・技能者として成長していきたいです。
当社は100年の社歴があり、培ったノウハウを取り込み、これまで先輩方から教えて貰った色々な技を次の世代に確実に伝えていくことも大事な使命です。
[了]
仕田義人(しだ・よしひと)1968年6月25日、山口県生まれ。1987年3月、山口県立柳井工業高等学校(現・柳井商工高等学校)建築科卒、4月向井建設入社。セイコーエプソン諏訪南工場、コクヨ首都圏IDC、泉ガーデンレジデンス、ホテルドリームゲート舞浜、新丸の内ビルディング、芝浦ルネサイト、中日新聞社品川開発計画などの鳶工事を担当。2級建築士、1級とび技能士、とび基幹技能士、1級建築施工管理技士。
※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。
« 東洋熱工業(株) 田中登氏 | (株)エム・テック 代表取締役社長 松野浩史氏»
向井建設は明治41年創業。以来、100年以上にわたり躯体工事業一筋。『鳶の向井』の伝統を今に受け継ぐ
高所で鉄骨を吊り上げ、所定の位置に降ろして組み立てるとびの仕事はいつも危険がつきまとう
重量物の吊り上げ運搬、取り付けは、今も昔も鳶の仕事だ
1000メートル級の超高層ビル建設も不可能ではなくなった今、鳶工たちの存在価値は高まる一方
慎重にクレーンのフックを取り外す
常に危険と背中合わせの作業。お互いの安全確認と声かけが何より重要
仕田チームの精鋭たち。どんな高所でもずば抜けた技能を発揮して躯体工事を行う“超高層ビルの鳶集団”だ