「大きくて人の役に立ち、みんなが喜んでくれるモノをつくりたい」。矢野さんは、夢をかなえられる仕事として建設業を選んだ
子どものころからモノをつくるのが好きで、大人になったら、モノづくりの会社に勤めて、できれば大きくて人の役に立ち、みんなが喜んでくれるモノをつくりたいと思っていました。
そんな夢をかなえることができる仕事として選んだのが建設業です。
大学では海洋建築工学を専攻し、その課外研究の一環で完成して間のないシーバンス・ア・モール(東京都港区)を見学する機会を得ました。
シーバンス・ア・モールは、シーバンスN館、S館のツインタワーの間にある商業施設が集まったアトリウムで、その時、S館に清水建設の本社があるのを初めて知りました。清水建設に勤めることになったのも、そんな縁があったからかもしれません。
1994年の入社以来、現場一筋。六甲アイランド(神戸市東灘区)の建築プロジェクトを皮切りに5年近く関西地区で勤務した後、生まれ育った東京に戻ってきた
現在の職場は、三田小山東地区第一種市街地再開発事業施設建築物新築工事の作業所。38階建ての超高層マンションを建設するプロジェクトで、8月の引き渡しに向け最終仕上工事の段階です。
この現場では、お客さまの要望を図面に落とし込んだり、コストを作り込んだりして、計画どおり施工が進んでいるか確認する工務の仕事に携わっています。
工業製品は品物を見て買えますが、建物の場合は、お客さまが工事を注文した段階では、まだそこに建物はありません。お客さまのニーズをしっかり図面に反映させる工務の責任は重大です。建築とは、まさにお客様のニーズを引き出して形にする仕事です。
そこに難しさがある反面、おもしろさがあります。
現場では、会話を大切にする。コミュニケーションを図れば、無駄やロスが防げることを学んだ
これまでの経験で、現場でのコミュニケーションを深めれば深めるほど、無駄やロスがなくなることを学びました。
入社当時は、自分の両親と同じか、それ以上年上の職人さんに指示して、仕事をしていただくので、多少やりづらさを感じることもありました。それでも会話を重ねていくうちに、職人さんが親身になってアドバイスをくれたり、ノウハウを伝授してくれたりするようになりました。その結果は、施工効率の向上へと繋がりました。
たくさんの職人さんと協力しながら、一つの大きな建物をつくる仕事に、非常にやりがいを感じています。
もともと人と話をするのが好きな性格なので、私自身、できるだけ笑顔を絶やさず、気軽に話しかけてもらえるような雰囲気づくりを心がけています。後輩にも、コミュニケーションの大切さを教えたいですね。
建設業は3K(きつい、きたない、きけん)職種の代名詞のように言われる。しかし、実際の現場は整理整頓が行き届き、職場環境の面でも改善が進んでいる
建設現場は、一般にはあまりきれいなイメージは持たれていないようです。しかし実際には全く逆で、整理整頓が徹底されています。そもそも、きれいにしないと能率が上がりません。安全管理が徹底され、きつさの面でも労働時間が短縮されるなど、職場環境の改善がかなり進んでいます。
一時、品質管理や環境管理に関連する書類作成などのデスクワークの負担が増大した時期がありましたが、いまは全社的にバックアップする体制が整備され、本来のものづくりの仕事に集中できるようになりました。
時々、社員や協力会社の家族を招いた現場の見学会が開かれる。二児の父親である矢野さんは以前、子どもに現場を案内した時の感想を、顔をほころばせながら語る
見学会では、父親の自慢げな話し声と、感心する子どもの歓声があふれています。
『この建物はお父さんがつくったんだぞ』『お父さん、すごい』。あちこちで、こんな会話が聞かれます。子どもにほめられると、とてもうれしいし、もっともっといい仕事をしたいと張り合いがでますね。
「今後、どんな現場で仕事をしたいですか」。その質問に対する矢野さんの答えは『遊園地』
遊園地は、友達同士、恋人同士、家族が気軽に行けて楽しく遊べる場所です。そこでは会話が弾み、笑顔になり、幸せな気持ちになります。
遊園地は、人々に喜びを与えてくれます。遊園地のプロジェクトはあまりありませんが、いつかぜひ手がけてみたいと思っています。
[了]
(やの・たいき)
1971年8月6日生まれ。東京都出身。
1994年4月清水建設入社 神戸支店建築部配属。
これまでに六甲アイランド(1)団地建設工事、有馬グランドホテル中央館増改築工事、目白椿山荘改修工事、赤坂2丁目共同ビル新築工事、目白日本女子大学百年間低層棟新築工事、六本木2丁目マンション新築工事、クレストフォルム芝タワー新築工事などの現場を担当。
※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。
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