2009年1月9日
アートディレクター/クリエイティブディレクター
佐藤 可士和氏 第1回
自分で自分に枠をはめたくない──。
数多くのヒット作を生みだしているアートディレクターの佐藤可士和氏は、常に挑戦し続けたいと語ります。佐藤氏がアートディレクターの道を意識したのは高校2年生の頃。「人生最大の決断」だった進路選択で美大を選んだのがきっかけでした。以来、広告という枠にとらわれることなく表現の領域を広げている佐藤氏に、自身の仕事について語っていただきました。
取材・構成/日刊建設工業新聞
絵ばっかり描いてたこども
アートディレクターという仕事は、一般的には広告や雑誌の企画制作責任者といっていいと思います。企画全体の方向性から、カメラマンやデザイナーの選定までプロジェクト全体のクオリティ管理に責任を持ちます。
僕自身もこの一般的なアートディレクターから出発しています。ただ、今はちょっと拡大解釈して領域を広げつつありますね。空間も建築も、もちろん商品もすべてアートディレクションの対象にしています。
最近では、企業からブランディングについての相談が多くなりました。店舗も広告物、商品もみんな目に見える情報です。この視覚情報を戦略的なコミュニケーションの道具に再構築するのがアートディレクターだと僕自身は定義しています。ですから平面の広告だけでなく、立体的な対象をアートディレクションするのも違和感がないんでしょうね。
父が芸大出身の建築家だったんで、子どもころからアートの話を聞いていました。芸術が身近というか。絵ばかっり描いている子どもでしたね。
将来については、父の影響もありなんとなく建築家になりたいなあと思っていました。シリアスではないですよ。それから漫画家ですね。実家のあった練馬区には漫画家がたくさん住んでいましたから。当時は「あしたのジョー」のちばてつやさんとか「サーキットの狼」の池沢さとしさんがいたなあ。
でも、絵は我流なんですよ。中学1年生のころ、絵を定期的に描きたいなあと思って、西武池袋線の石神井公園駅前にあった『ミロ絵画教室』っていうところに週1回通い始めました。ここは芸大生のたまり場、アトリエみたいなところで、集まったついでに教えてる、みたいなところでしたが、とにかく絵を描く場所がほしかったですね。
人生最大の決断で美大へ
進路について悩んだのは高校2年生の時です。大学は文系と理系のどちら選ぶかっていう選択です。どっちにも行きたくないんです。じゃあ、自分は何がしたいのか。これは本当に悩みました。
その時にハッと思ったんです。「絵がある」って。
それで美大に行きたいって父に相談したんですよ。自分では人生最大の決断はこの時だったと思っています。
父からは「建築はダメだ」と言われました。家に建築家は2人要らないと。それでグラフィックデザインを専攻することにしたんです。グラフィックデザインを選んだのは社会的な影響力があって、カッコよさそうだったからですかね。
僕が進路を決めた時期は1980年代ですから、広告黄金期です。当時住んでいた西武線の沿線ではパルコや西武のポスターをよく目にしました。糸井重里さんの『おいしい生活』とかね。
それから、レコードジャケットや外国の飲料水やタバコのパッケージなんかもカッコよかった。特にグラフィックデザインはポップカルチャーに直結しているっていうイメージで、キラキラしてました。
それで、高校2年の時から美術の予備校に通い始めたんです。この時にね、僕の中ではプロとしての意識が開花しました。初めて行った講習でデッサンの実習があったんですよ。
これが楽しいんです。「これが勉強!これが仕事!」って思いました。もう最高のものに出会えたっていう思いですね。僕自身はこの時がプロとしてのスタートだったと思っています。それくらいの体験でした。 (次回に続く)
佐藤可士和(さとう・かしわ)アートディレクター/クリエイティブディレクター。1965年東京生。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。株式会社博報堂を経て2000年独立。同年クリエイティブスタジオ「サムライ」設立。
主な仕事に、スマップなどミュージシャンのアートワーク、NTT docomo「FOMA N702iD / N703iD」のプロダクトデザイン、ユニクロNYグローバル旗艦店のクリエイティブディレクション、楽天グループ、ファーストリテイリングのCI、明治学院大学やふじようちえんのリニューアルプロジェクト、国立新美術館のシンボルマークとサイン計画など。進化する視点と幅広いジャンルでの強力なビジュアル開発力によるトータルなクリエイティブワークは、多方面より高い評価を得ている。明治学院大学客員教授、多摩美術大学客員教授。東京ADCグランプリ、毎日デザイン賞、朝日広告賞、亀倉雄策賞、東京TDC金賞、ほか多数受賞。東京ADC、東京TDC、JAGDA会員。著書に「佐藤可士和の超整理術」(日本経済新聞出版社)。
※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。
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机とイスだけのシンプルな空間からさまざまなアイデアが生まれる
〜佐藤氏のオフィス「samurai」の会議室〜
“3つの整理術を極めれば、答えは必ず見つかる”と、自らアイデアの源泉を語り、話題を巻き起こした著書「佐藤可士和の超整理術」
またたく間に日本を代表するトップクリエイターへと進化した佐藤氏。次回は、デザインに対する徹底的なこだわりと“仕事哲学”について迫ります。