以来、三上建築事務所が設計した幼稚園、学校、集合住宅、福祉施設、斎場などの建物で壁画を創作するようになりました。三上さんは、ガラスや金属、織物、陶板など壁画には様々な材料があることも教えてくれて、専門の職人を紹介してくださいました。
こうして建築家、各地の人たちと出会う中で、全国にたくさんの壁画の作品が生まれ、40歳になったとき、本当に多くの人に育てられたということを実感しました。出会った人に育まれ、自分らしく生きることができたのだからこそ、人間が共に生きる喜びを、壁画に刻みたいと深く願いました。
そして1997年に創作したのが北海道の『士別市ふれあいのみち公園』にある一連の作品です。2年あまり士別に通って四季を体験し、その街に生きる人々の心に出会い、公園のランドスケープデザインから、全長30メートルのガラスモザイク壁画、ステンレスのモニュメント、オブジェまでを一貫して手がけました。
7年ほどたったころ、メンテナンスのため士別を訪れました。壁画の前でガラスモザイクを調べていたとき、小学校1年生くらいの女の子が駆け寄ってきて「何しているの?」と聞いてきたので、「汚れているところをきれいにしようと調べているの」と話しました。すると、女の子は「私はいつもこの壁の絵を見ているよ」と言います。
今度は私が「どんなときに見ているの」と聞き返しました。女の子は、しばらく考えた後、「友だちとケンカしてさびしい時に見ているの」と答えたのです。この子の心の中の大事なものと壁画が響き合ったのだと感じ、うれしくて、涙が出ました。
紙芝居は人々の共感をはぐくむ日本独自の文化。
紙芝居を創作し平和活動を展開
この10年は、紙芝居の創作と普及の活動もしています。1998年、沖縄くすぬち平和文化館の壁画を創作しました。沖縄の真栄城さん夫妻が、子どもたちに平和と文化を手渡したいとの思いを込めて建てた建物で、1階が子どもの本の専門店、2階が紙芝居劇場、3階が平和資料室の構成です。
紙芝居は日本が生み出した児童文化で、共感をはぐくむ力があります。私は、人間が幸せに向かって生きること、平和が大事だと感じられる空間づくりをめざし、壁画に取り組んできました。共に生きる喜びがみんなの心に育てば、戦争もなくなります。
紙芝居のすばらしさにひかれ、私も作品をつくりました。『二度と』(童心社刊)という平和紙芝居です。原爆で殺された人々の尊厳、生きぬいた人たち、平和を築こうとする人たちの声を12場面に刻みました。この紙芝居は、ミュンヘン国際児童図書館の選書になり、世界中で巡回されています。
壁画ならではの世界を伝えたい。
壁画は人間の心を未来に向かって解き放つ
壁画家となって25年が過ぎたいま、壁画ならではの世界が誰にも伝わる作品をつくりたいという思いが一層強くなりました。
キャンバスに描く油絵と違って、壁画は床や地面とつながっています。壁画を見る人は、立っている床を介して壁画と自分がつながっていることを感じます。さらに壁画は天井や空へつながっていくので、見る人の気持ちは、天井や空の空間に向かって抜けていき、未来へ広がっていきます。
壁画だからこそ、その空間にいる今の自分自身を感じながら、未来へ心を広げることができるのです。壁画は、人間の心を未来に向かって解き放つ力を持っているのだと、どんな人へも伝わる作品の創作に取り組んでいきます。
[了]
松井エイコ(まつい・えいこ)1957年東京生まれ。1982年武蔵野美術大学卒業。1983年から日本有数の壁画家として全国各地に「人間」をテーマとする壁画、モニュメント、ステンドグラス、レリーフ、緞帳などを130作以上創作し続ける。1989年北京にて中国主催の個展開催。日本各地でも「松井エイコ壁画の世界展」開催。紙芝居の創作と普及にも力を注ぎ、フランス、ベトナムにて紙芝居講座の講師をつとめる。2006年に紙芝居作品『二度と』がミュンヘン国際児童図書館企画「平和と寛容のための図書展」に選ばれ、世界を巡回。同年ドイツにて講演を行う。2007年よりアメリカにて病院の壁画プロジェクトに取り組む。
著書:「都市環境デザインへの提言」(日刊建設工業新聞社刊・共著)、童心社刊・紙芝居「二度と」「かずとかたちのファンタジー全5巻」など。日本建築美術工芸協会会員、士別市ふるさと大使
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※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。
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北海道士別市ふれあいの道公園壁画「未来を拓く四つの力」(ガラスモザイクW30×H3.1m)
写真・加藤嘉六
沖縄くすぬち平和文化館壁画「ゆがふたぼうり」(ガラスモザイク W2.1m×H6.3mの一階部分)写真・加藤嘉六
ドイツ・フュルト市主催の平和記念式典にて、ドイツの人々へ紙芝居「二度と」を実演したことを掲載した新聞(2006年8月7日付)
「二度と」を見るドイツの人々