「働く」建設WALKER×日刊建設工業新聞社

そんな1年が過ぎたある日、母が、言ってくれた言葉を憶えています。久しぶりに母と一緒に絵の展覧会に行き、帰りに寄った喫茶店で母は自分の若かった時のことを語りました。

「私は美術大学に行きたかったんだけど、家の事情で行かせてもらえなくて、18歳の頃は心が荒れていたのよ」と。それを聞いて、母も自分と同じように葛藤(かっとう)している人間なのだとわかり、1年の迷いを話したんです。

母は必死になって答えました。「小さな“好き”なことが、たくさんあって迷っているのなら、その中に他とくらべて、少しだけ大きな“好き”があるんじゃない? それを選んで、一生かけて大きな“好き”に育てていけばいいのよ」私は心の中が軽くなり、「少しだけ大きな“好き”の絵を選んで生きていこう」と決めました。

生徒の生徒による生徒のための学校「寺小屋学園」をつくる

大学4年生の時、私が小中高の12年間、育った明星学園で、教育問題が起きました。明星学園は、テストの点数で子どもたちを競わせたり、比べたりせずに、人間の個性を尊重して可能性を伸ばすことを教育の理想に掲げている学校でした。

例えば、算数の授業で先生が、数字の『ジュウイチ』は、『10』と『1』だから『101』だよねと、わざと間違った数字を黒板に書くのです。私たち生徒が「先生違うよ」と叫ぶと、今度は先生が「何で違うの?」と聞き返します。するとクラス中の子どもたちが、先生を説得しようと、一人一人が自分自身の言葉で意見を言い始めます。みんなで議論になっていき、十の位が1、一の位が1だから『11』という十進法の位取りの法則をみんなで共に発見した瞬間、先生は「降参!」と床に倒れてくれました。その時の感動は忘れられません。

私は、この教育から「自分自身で考えて、本質を見つけ出す」「人間を比べない」という宝物をもらいました。

ところが1980年に、明星学園は、中学から高校への内部進学の際に、生徒をテストの点数で切り捨てる方針を決めたのです。私は、在校生、卒業生や保護者、先生たちとも一緒に『子どもを切り捨てるテスト』反対運動の波を起こし、それは"人間教育"を望む日本中の人にとっての大問題となりました。

半年間、私は大学にも行かず、この問題の中心にいました。けれども、選別のテストは行われ、3人の子どもたちが学校から切り捨てられ、さらに、明確な理由もないまま、一人の高校生が退学させられました。明星学園の理想教育は暗転します。

その時、私は10代の仲間と共に「生徒の生徒による生徒のための学校をつくろう」と、12畳1部屋の『寺小屋学園』という名前の小さな学校をつくったのです。一人一人を大切にする教育の理想を失いたくない、希望がほしいと。

寺小屋学園は生徒が本当に学びたいことを学ぶ、日本初のフリースクールでした。生徒自身が授業の内容を決め、講師を依頼します。新聞記者や俳優による授業もありました。日本中の様々な方から支援をいただき、4年間運営することができました。 (次回に続く)

松井エイコ(まつい・えいこ)1957年東京生まれ。1982年武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業。1983年壁画家として出発。公共施設を中心に「人間」をテーマとする壁画、モニュメント、ステンドグラス、レリーフ、緞帳など創作活動を続ける。紙芝居の創作と普及にも力を注ぎ、フランス、ベトナムにて紙芝居講座の講師をつとめる。ベトナムの紙芝居作家で人民解放軍の兵士だったブイ・ドク・リエン氏らと共に紙芝居文化交流。2006年に紙芝居作品『二度と』がミュンヘン国際児童図書館企画「平和と寛容のための図書展」に選ばれ、世界を巡回。同年ドイツにて講演を行う。
著書:「都市環境デザインへの提言」(日刊建設工業新聞社刊・共著)、童心社刊・紙芝居「二度と」「かずとかたちのファンタジー全5巻」など。日本建築美術工芸協会会員、建築家倶楽部会員、士別市ふるさと大使、紙芝居文化の会運営委員

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※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。

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「壁画は人間が生きるための希望であり、勇気である」と松井氏。少女時代、進路を迷う彼女の背中をポンと押したのは、母の一言だったと語る。

小中高を過ごした母校の方針が根底から覆されることを知った大学時代には、徹底的な反対運動を展開。その後、1981年に有志と共に創設した『寺小屋学園』は日本初のフリースクールとして、大いに話題を呼んだ。

インタビューでも触れられている智学館中等教育学校をはじめ、静岡県富士市・幼稚園、常磐大学、愛媛県松山市・幼稚園、北海道中富良野保育園、京都・立命館小学校など、松井氏の作品は多くの教育施設で採用されている。次回は、彼女の壁画家としてのデビューから現在までの活動をたっぷりとご紹介する。

北海道士別市ふれあいの道公園壁画「未来を拓く四つの力」(ガラスモザイクW30×H3.1m)
写真・加藤嘉六

沖縄くすぬち平和文化館壁画「ゆがふたぼうり」(ガラスモザイク W2.1m×H6.3mの一階部分)写真・加藤嘉六