• HOME
  • 壁画家 松井エイコ氏
「働く」建設WALKER×日刊建設工業新聞社

2008年12月5日

壁画家

松井 エイコ氏 第1回

壁画家として活躍する松井エイコさん。25歳の時から、『人間』をテーマにした壁画を創作し続けています。インタビューの第1回目では、壁画が持つ芸術性と最近の活動とともに、絵の道を進むきっかけとなった出来事など松井さんの原点を紹介します。
取材・構成/日刊建設工業新聞

壁画は、人が生きるために必要だからこそ誕生した。
人は壁画から希望や勇気を得ることができる

私は、壁画にしかない世界を追い求めて、歩んできました。
「なぜ、壁に絵をつくるの?」という問いかけに、壁画は単なる飾りではなく、人間が未来にむかって生きるために希望や勇気を与えるものだと考えています。

2万年以前の旧石器時代に壁画は存在しています。生きるだけでも精いっぱいだった原始の時代に、必要だったから壁画は生まれたのではないでしょうか。スペインのアルタミラの洞窟壁画が有名ですが、洞窟の壁には、狩の獲物が描かれています。そこに生きる人の気持ちになってみると、獲物が捕れたら、飢えることのない幸せな日々が待っています。でも、狩には危険もあります。洞窟の外に一歩足を踏み出そうとする時、人々は、壁画に祈った。つまり、壁画は幸せな未来に向かって、勇気を持って一歩を踏み出す希望を与える役目だったのではないでしょうか。

現代に生きる人間も、幸せな未来に向かって生きていきたいと願っているはずです。未来へ一歩踏み出す、希望や勇気を感じてほしい、そう思いながら、人間をテーマにした壁画を国内外で創り続けてきました。作品数は130作以上になります。素材はガラスや織物、金属、陶板など様々です。

壁画は一人の力ではできません。建築計画から始まり、設計段階、工事中と全過程で壁画の空間づくりを考えていきます。また、さまざまな素材は専門職人の手によります。だから壁画は、建て主、建築家、施工者、専門職人など、多くの人の力の集大成だと捉えています。

どんな建物にも、そこにかかわる人たちの夢があります。出会った人から学び、新しく生まれる建築の空間を自分のものにし、建築に込める夢を確かめながら、長い時間をかけて、「原画」(壁画の10分の1の縮尺イメージ図)を練り上げます。建築へこめる夢を見いだして、初めて一本のデッサンの線が引けます。だから、建築に関わる人たち皆の思いの結晶として、原画ができあがる時が、壁画の命が生まれる瞬間です。

さらに、原画をもとに、モザイクなどの専門職人によって、素材に温かな息が吹き込まれ、実物の壁画が完成します。この創作活動を通して、幸せな未来を築こうとする人間の心を、壁画独特の空間に刻み込んでいくのです。

近作に、水戸市に新設された智学館中等教育学校の『自ら拓く時』と題するステンドグラスがあります。この学校は常磐大学が2008年4月に開校した中高一貫校です。新しい学校づくりの中で、学校の人たちは、「自分の人生を自分で選び、未来をきりりひらく人間」を育てるという教育の理想を語ってくれました。

この理念が建築空間(設計・三上建築事務所)に具体化していき、私は、透明感あふれる吹き抜けの空間として計画された玄関昇降口の開口部の上部にステンドグラスを創作することとなりました。

吹き抜けの透明な建築空間は、未来への広がりを感じます。ステンドグラスは、二人の人間が全身で前に踏みだそうとし、大きく手をさしのべた姿。その手の向こうには、透明な光の世界が開かれる絵です。未来を開くその先にあってほしいのは、希望と理想ではないでしょうか。色ガラスの輝く空間を通して、理想を求めて生きることの喜びを、10代の子どもたちに手渡したいと、創りました。生徒たちが朝夕通るときに、心の奥底で未来の輝きを感じてもらえたら、と願っています。

たくさんある小さな“好き”の中に、少しだけ大きな“好き”が、絵だった

私は、14歳の頃に自分らしさを求め、苦しんだ時間の後、15歳になった時、未来へ向かって生きていくのに、「好きな絵」を選びました。

14歳の頃は、私にとって、自我の出発の時でした。「自分がこれからどう生きていくのか」を考え始め、自分らしい好きなことを選んで、生きていきたいと願うのに、一つのことに決められず、一日、一日が重たい時間となり、苦しい。でもそれは、自分の人生にとって、大切な時間でした。絵は好きでしたが、ゴッホのように、24時間燃えるように絵を描く自信はないし、絵以外の好きなことも、たくさんあるので、何を選んだらよいかわからず、迷い続けました。 (次のページへ)

1 2

※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。

« 早稲田大学大学院教授 北川正恭氏 第2回 | 壁画家 松井エイコ氏 第2回 »

建設WALKERエージェント─建設業界、一人で迷っている人へ─専任アドバイザーが転職活動を徹底支援!サイト掲載前の非公開求人情報も豊富です!

「壁画は人間が生きるための希望であり、勇気である」と松井氏。少女時代、進路を迷う彼女の背中をポンと押したのは、母の一言だったと語る。

小中高を過ごした母校の方針が根底から覆されることを知った大学時代には、徹底的な反対運動を展開。その後、1981年に有志と共に創設した『寺小屋学園』は日本初のフリースクールとして、大いに話題を呼んだ。

インタビューでも触れられている智学館中等教育学校をはじめ、静岡県富士市・幼稚園、常磐大学、愛媛県松山市・幼稚園、北海道中富良野保育園、京都・立命館小学校など、松井氏の作品は多くの教育施設で採用されている。次回は、彼女の壁画家としてのデビューから現在までの活動をたっぷりとご紹介する。

北海道士別市ふれあいの道公園壁画「未来を拓く四つの力」(ガラスモザイクW30×H3.1m)
写真・加藤嘉六

沖縄くすぬち平和文化館壁画「ゆがふたぼうり」(ガラスモザイク W2.1m×H6.3mの一階部分)写真・加藤嘉六