「働く」建設WALKER×日刊建設工業新聞社

県知事時代の8年間は充実感がありました。政治という舞台で、まさに地方の時代を象徴するような大革命が実現できたと思います。実際、『生活者起点』でものを考えると発想が変わるんですよ。例えばシャープの亀山誘致で県が補助金として投じた90億円を投資としてみるか、単なる補助金としてみるか。
地域経営の視点からすると、企業誘致により雇用が確保できるし、税収が増える。90億円は確実に回収できる。しかし、単なる補助金だという視点では大企業優遇じゃないかということにもなりかねない。それを、費用対効果と見れば、明らかに補助した方が地域経営にはメリットがある――。 こんな発想は、それまでなかったのではないでしょうか。

管理から経営、そしてマニフェスト

自分は知事になった時から、管理から経営へと言い続けてきました。シャープの亀山工場誘致はそうした政治姿勢がはっきりとした形に表れたものでしょう。自治体の仕事で管理するというのは他人の財布で仕事をするということです。これではイノベーションは起きません。「経営しよう、自己決定で行こう、自分たちで構想して、それを実行していこう」という気概がなければならないのです。

そこで、着実に実行するためにPDCA(プラン・ドゥー・チェック・アクション)手法をマネジメントに取り入れました。2期目の知事選ではPDCAを入れた総合計画を打ち出し、数値目標も期限も明記したんです。アウトカムの発想を初めて導入した総合計画だと思いますよ。

役人だけでなく、政治家にもこうしたマネジメントサイクルを取り入れたらどうだろうというのが私の持論であるんです。日本の政治は金と票の世界、情実の世界。それを、科学的で合理的なマニフェストを導入することで政治の世界を変えたい。知事を辞める決断は2期目となる3年目。当初から2期8年と言っていたし、ちょうど良い頃だと思ったんですね。

ここでマニフェストという考え方が具体的な形になりました。知事を辞めることを発表した時に、母校の早大から新設する大学院「公共経営研究科」の教授にならないかという誘いの電話があったのです。
2〜3年前から相談は受けていましたが、正式な依頼はこの時はじめて。三重県知事を辞めてから、再び国政へという話もありましたが、個人的にはまったく考えていませんでした。かった。体質的に天の邪鬼というか、一言居士というか、我が道を行くというところがあって。自分なりの美学もありましたしね。
結局、この誘いを受けて母校で教鞭を執ることになったのです。

これからも国民運動として自らのキャリアを生かして、マニフェストを広めていきたい。自ら代表を務める「せんたく」(地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合)を通して社会を変えたい。デマンドサイドの目線、『生活者起点』でやれるだけやる。それが自分の美学だと思っています。

[了]

北川正恭(きたがわ・まさやす) 1944年生まれ。1967年早稲田大学第一商学部卒業。1972年三重県議会議員当選(3期連続)、1983年衆議院議員当選(4期連続)。任期中、文部政務次官を務める。1995年、三重県知事当選(2期連続)。「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改革を進める「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。2期務め、2003年4月に退任。2008年3月「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(せんたく)を立ち上げ代表に就任。 現在、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)代表。
北川正恭オフィシャルウェブサイト http://www.office-kitagawa.jp/

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※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。

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1995年から2003年まで2期連続、8年間にわたり三重県知事を務めた北川氏。ここ三重県庁舎は『生活者起点』という考えが生まれた場所でもある。

今や一般まで浸透した『マニフェスト』という言葉は、北川氏が「ローカル。マニフェスト」導入を提唱して広まった。ちなみに2003年の『 日本新語・流行語大賞』を受賞している。

現在は大学院教授のほか、2008年3月に発足した「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」の代表を務める。「政治を変え、日本を変える」を目指し、北川氏がどんな活躍を見せてくれるか。今後も目が離せない。