• HOME
  • 早稲田大学大学院公共経営研究科教授 北川正恭氏 第2回
「働く」建設WALKER×日刊建設工業新聞社

2008年11月21日

早稲田大学大学院公共経営研究科教授

北川 正恭氏 第2回

三重県議会議員から衆議院、三重県知事、そして早稲田大学大学院教授へ。政治から民間と活躍の場が移っても、一貫して変わらない“改革”への熱い情熱──。
インタビュー第2弾では、シャープ亀山工場誘致に自らトップセールスを行うなど、新しい施策を次々と展開した県知事時代の活躍と、『生活者起点』をキーワードに北川氏が頑なまでに守り続ける“美学”をたっぷりお届けする。
取材・構成/日刊建設工業新聞

(前回からの続き)

離党、そして三重県知事へ──

これまでで一番辛い決断となったのが自民党からの離党。一族や支持者に対する裏切り行為でもあるし、自らの存在意義の否定にもつながってしまう──。しかし、止むに止まれる気持ちで決断しました。

決意したのは、河野洋平総裁、森喜朗幹事長の時。副幹事長を務めさせてもらっていた時期でした。この時、自民党は初めて野党になったんです。当時はまさに時代の変革期。経済の世界にはリエンジニアリング(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)が入ってきた頃だった。この経済の動きを政治にも導入したいと考え、新党みらい結党へと突き進んでいったのです。

その後、他の政党会派と合併し、新進党に参加。清和会出身の人間が経世会出身の小沢一郎氏を中心とする新進党となぜ手を組めたか。当時から小沢さんとは肌合いが違うという思いはありましたが、改革には核となるシンボルが欠かせません。“小沢一郎”という政治家は、まさに当時の政治改革の核。オーラがあったんですね。政治的には羽田孜氏の方が近いというか、違和感はありませんでしたが、新進党に合流してから党首選があり、ここで旧態依然とした党首選びが行われていた。
「これでは自民党と同じじゃないか」と。「党が変わっても何も変わらない。もう引退しよう」。これが引き金になって国政から身を引くことにしたんです。

この当時は『北川理論』とでも言うべき改革論、テーゼを構築しようと必死に勉強していた時期でもありましたね。「選挙で落ちてもいい」。そのくらいの気概で改革論にのめり込み、土日も地元に帰らずに勉強し、体も鍛えました。今思うと、それだけ充実していたのでしょうね。にもかかわらず、党首選のありようを見て「これではやっていられない」と。

それから1〜2カ月して、当時の三重県知事が病気で引退。統一地方選に合わせて知事選を行うことになったんです。当時、自分はまだ50歳になったばかり。「若い知事を出そう」と運動していたら、多くの方から「お前しかいない」と推されてしまい、そうこうするうちに「知事になって現場で政治改革という夢を達成するのも手かな」と。快く引き受けることにしました。

地元は三重の大票田である鈴鹿。立候補すれば無投票という流れがありました。これに棹さしたのが岡田克也氏。「無投票では民主主義とは言えない」と運動して選挙になったんです。幸い当選したが、このことを通じて民主主義というか選挙の大切さを教わったように思います。この点に関しては岡田氏に感謝していますよ。

生活者起点の意識改革

知事になってからは、県庁職員と来る日も来る日も議論・討論。納得できるまで話し合いました。任期中の8年間で延べ1万2000時間は対話したと思います。
徹底的に議論するというのは、対立すると言うことではありません。徹底的に協調するということなのです。この議論を通じて自分のモットー、信条とでも言うべき『生活者起点』という考えが生まれはじめました。

役人はやらないと決めたらやらない理屈をしっかりと作ってくる。しかし、やらない理屈の向いている先は国。国ができないと言っているからというのが出発点であったんです。この役人の発想を『生活者起点』で正しいのかと問い直し、情報公開に徹底しました。隠さずに公開する。そして県民の立場で考える。まさに意識改革でした。

『生活者起点』という言葉は、県庁の職員と会話する中で生まれたものです。生活者重視というのは生活者の立場ではない。サプライサイドで生活者を見ている。少し違うと思いながら職員と話しているうちに、生活者を起点にものを考える事が不可欠なんだと言うことに気づいたのです。必死に考えたから生まれた言葉ですね。 (次のページへ)

1 2

※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。

« 早稲田大学大学院教授 北川正恭氏 第1回 | 壁画家 松井エイコ氏 第1回 »

建設WALKERエージェント─建設業界、一人で迷っている人へ─専任アドバイザーが転職活動を徹底支援!サイト掲載前の非公開求人情報も豊富です!

1995年から2003年まで2期連続、8年間にわたり三重県知事を務めた北川氏。ここ三重県庁舎は『生活者起点』という考えが生まれた場所でもある。

今や一般まで浸透した『マニフェスト』という言葉は、北川氏が「ローカル。マニフェスト」導入を提唱して広まった。ちなみに2003年の『 日本新語・流行語大賞』を受賞している。

現在は大学院教授のほか、2008年3月に発足した「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」の代表を務める。「政治を変え、日本を変える」を目指し、北川氏がどんな活躍を見せてくれるか。今後も目が離せない。