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「働く」建設WALKER×日刊建設工業新聞社

2008年11月7日

早稲田大学大学院公共経営研究科教授

北川 正恭氏 第1回

「政治改革」。これが早大大学院公共経営研究科教授の北川正恭氏が選んだ“仕事”だ。三重県議会議員から衆議院議員、三重県知事、そして現在。常に改革にこだわり、そしてそれを実現するために汗を流してきた。北川氏が提唱した「マニュフェスト」は、今やすっかり定着、選挙の際にはどの候補者、政党もマニュフェストを打ち出すほどまでになった。今も衰えぬ改革への思いを聞いた。
取材・構成/日刊建設工業新聞

父が拓いた政治への道――

我が家は、政治家か坊主、官僚が多い家系でした。父親(北川正雄氏、元三重県議会議長)は県会議員、母の兄である叔父(久保田藤麿)は国会議員(衆議院、参議院を歴任)。自分にとって政治は身近なもの。政治に対するアレルギーとか、政治の世界が決定的に嫌だというのはなかった。だから(世襲議員と批判されている)今の2世、3世議員が“世襲議員”などと批判されていますが、政治の道に入った気持ちは理解できるんです。

とはいえ、親から政治家になるよう勧められたことはなかったですね。1967年、大学卒業後、東京で就職しましたが、それも自分が決めたこと。親は自由にしてよいという育て方だった。男ばかりの5人兄弟の4番目という気楽さもあったかもしれませんね。
でも、就職してしばらくすると、会社でひとつの歯車として働くことに疑問を持つようになったんです。「これでいいのかな」と。
その時に思ったのが、地域や人との関わりの中で生きていくのもいいのではないかということ。それで、地元・三重県で政治家になる決意を固めました。この気持ちを親に話すと、父親は「ああ、そうか。君の人生だ」と。

政治家を志したのが24歳。父とは自分が30歳の時の統一地方選で代替わりすると相談していたんです。ところが自分が26歳の時の統一地方選で父が病に倒れてしまったんです。すでに父は立候補しており、自分は代わりの弁士として選挙区内を演説して歩き、父は無事当選したんですが、この年の11月にこの世を去ってしまって。

翌1972年に補欠選挙に立候補した私は、この選挙で初当選。当時、叔父が県連の会長を務めていた自民党に入党しました。もともと、自分では30歳で立候補するつもりだったのが、父の死によって2年早くなった。今思えば、自分に政治家としての道を空けてくれたのではないでしょうか。そして、これが自分の政治家人生に大きな影響をおよぼすことになったと思います。

当選3回、県政から国政へ──

その後は、県議選に3回立候補し、すべてトップ当選。この後、国政に行くことになった時にも、経験豊富という評価につながったのだと思います。 県会議員として2期目から3期目にかけての頃だったと思いますが、叔父に代議士を目指したいと話したんです。叔父からは烈火のごとく怒られましたよ。「国会議員になるというのは、進退をかけるということだ。それほどの挑戦だぞ」と諭され、その場では断念。
県議選は、ある面で勝つのが分かっている選挙。地盤はあるし、志半ばで倒れた父の弔い合戦的な側面があり、ある程度の支持は得られました。ところが、国政選挙はスケールが違います。実際、叔父は落選も経験していますし、不安もあってその場では断念したんです。

ところが、この時、地元の新聞が「北川氏、出馬断念」と報じたことが話題になり、事前予告というかPRとして効果的だったというか。あの当時は、自分も周りも人知を越えたテンションの高さで、何でもプラスに働いていました。
結果的に、自分は県議を3期務めた後、83年の衆議院議員選挙で当選。「県政から国政へ」。これは今も昔も自民党地方議員の憧れです。だから自民党の青年部の仲間も後押ししてくれた。ありがたかったですね。 (次のページへ)

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※記事中のデータ、人物の所属・役職は掲載当時のものです。

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報道番組のコメンテーターや一般誌のコラムなど、メディアでもおなじみの北川氏。インタビュー第一回では、彼が拓いてきた“改革の道”の序章ともなる議員時代の足跡をたどる。

三重県議会議員を3期連続で務めた後、1983年に衆議院議員に初当選。活躍の場を国政の場に移し、政治改革に向けた第一歩を歩み始める。

政治一家の中で生まれ育ち、政治を身近なものとして感じていた北川氏。とはいえ、国会議員になりたての頃はカルチャーショックの連続だった語る。

文部政務次官を務めた後、知事として再び三重県へ──。県知事時代の8年間から現在まで、北川氏が守り続ける“美学”とは。インタビュー第2回でたっぷりお届けする。